深夜の素麺

午前2時ごろ、お腹が減ったので、手延べそうめん揖保乃糸を茹でて、冷麦を作りました。

鍋が小さかったせいか、麺の束がうまく広がらず、麺が固まりになって、引っ付いてしまったりしました。

やはり、大きな鍋とたっぷりのお湯で、麺はゆがかないといけないですね。

束も入れすぎるとダメですね。

茹で上がった麺を、ザルに移し換える時の、蒸気の熱気はすごいですね。

あと、麺つゆは、2倍希釈用ぐらいを使って、少し濃いめにしておくと、食べてる間に少しづつ、薄まってちょうど良い味になっていくのでいいですね。

ベトナムには昼寝の文化がある!?

ベトナムで、現地の学生と活動した際、食堂での昼食を終え、教室に戻ると、さっきまでにぎやかだった教室が、急に静まり返っていた。


みんな何処かに散歩でも行ったのかな。昼食後に、散歩するなんて、なんて健康的な学生達なんだろう。と思って教室の中に入って行くと。みんな寝てます。床にそのまま、直に仰向けになってます。教室の外に、起きている人ががいたので、その人に聞いてみると、これがベトナム人の習慣だよとのこと。廊下で、すやすや寝てる人もいました。郷に入れば郷に従えでの精神で、真似して、横になってみると、床がひんやりとして気持ちいいではないか。これはやみつきになる。火照った身体も、すっと楽になる。ひんやりとした床に張り付きながら、学生達の寝息に、囲まれて、心地よい眠りに落ちていった、ある昼下がりの異文化体験でした。

さあ次の旅路へ

次はカンボジアプノンペンへ行ってみようか。それともシェムリアップのアンコール遺跡郡をサイクリングで周ろうか。

ラオスへは陸路で行ってみようか。

 

ネパールに行ってエベレスト見る?モンゴルに行って、遊牧民の生活を体験する?

 

想像力をかきたてる、旅の計画を始めよう。

トロピカルなビール

今日はサントリーのクラフトセレクト香り彩るビール「トロピカルに香るセゾン」を飲んでみました。

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タヒチビールのHINATAのグラスに注いで、南国ムードを高めました。
一口目の印象は甘いピーチといったところです。二口目の印象は少し苦いピーチになりした。3口目の印象はピーチ風味のビールになりました。味の感じ方も変化して楽しめました

いつもは糖質オフのビールを飲んでいますが、たまには、色んなビールに挑戦してみようと思いました。

シェタゴンパヤー

アジアの歴史的建造物を幾つか回りましたが、ミャンマーのシェタゴンパヤは圧巻でした。ここは、仏教国のミャンマーにおいて、人々の憧れの地、一生に一度は誰しも訪れたい場所とのことです。現地の日本人に勧められて、参拝することにしました。

 

中に入るには、入り口で入場券を買い、神聖な場所なので靴を脱ぎ裸足になります。

 

そして、階段かエレベーターを使って、本殿の入り口に向かいます。

 

入り口をくぐると、そこには、豪華な金の装飾を施された、美しい曲線の寺院が

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そびえ立っています。灼熱の太陽に照らされる、純金の建物、が眩しいです。

火照った、大理石の床の上を歩いていると、足の裏がやけどしそうです。

ミャンマーでは、何曜日に生まれたか、というのが、その人の運勢を決めるようです。

日、月〜土までのそれぞれの、曜日ごとに小さな祈りのコーナーがあって、自分の生まれた曜日のところ、で祈りを捧げます。金の像に水をかけて、床に膝をつき、深々と礼をしながら、祈りを捧げます。

ぱろは、自分の誕生日が何曜日かわからなかったので、とりあえず

全てのコーナーに行き祈りを捧げました。

祈りながら、なにを思い、なにを願う。

敬虔なミャンマーの人々見ていると、心が安らぎました。

 

名前の由来

子供の頃よくお土産として食べていた、

返馬餅の名前の由来についてのお話です。

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地元では、次のような昔話も残っています。
昔々、この付近の村で疱瘡(ほうそう)が流行し人々は大変苦しんだそうです。奥乃という娘の家も、家族のほとんどが疱瘡にかかったが、奥乃だけは元気でした。奥乃は器量もよく優しく、病に付した家族の面倒も良く見ました。医療という医療、薬という薬がない時代、奥乃は、参宮に向かう人が馬をつなぎ、馬を帰す「返馬所」に建てられた鳥居前から伊勢神宮を拝み、家族の回復を祈っていました。 

 

ある日のこと、病気で疲れた父親が「顔のあばたを見て手当てをしたい。鏡を探してきてくれ」と頼まれたのですが、この時代、鏡などはよほど裕福な家しかなく娘は困ってしまいました。鏡を手に入れるすべもなく、何とか父親に顔の様子を見せてやりたいと思案にくれた奥乃は、ある日、米櫃の中の米を見て、父親の気を紛らわすために好物の「おたふく餅」を作ることを思いつきました。

 

へんば餅の焦げ目餅をつき、おたふく餅ができあがり、おたふく餅に網で焦げ目をつけて焼いていると、餅の焦げ目が父親のあばた顔そっくりになりました。奥乃は、早速床にいる父親のところに持っていき「これはお父さんの顔にそっくりじゃ」と言って渡すと、父親は喜んで「私の顔はこのようになっておるのか」と、餅を表にしたり裏にしたり見ているうちに、父親の顔色はしだいに良くなり、あばたも綺麗におちてしまいました。奥乃はすぐに、兄姉にも食べさせると、見る見るうちに疱瘡が治っていきました。 

 

それでこの村の人々は、この餅菓子を売り出すことにしました。村人たちが餅の名前を「鏡餅」にしようか「焼餅」にしようか錯誤していると、近所の老婆が「奥乃がいつも返馬所のところで伊勢神宮を拝んだおかげで病が治ったのだから、『返馬餅』じゃ」と言った。こうして「へんば餅」と名付けられ、返馬所で売り出されるようになったそうです。 そして返馬所一帯から疱瘡は消えうせたと語り継がれています。 

参考文献「小俣町史 通史編」